時間旅行の世紀 第五章

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「今日はレーニン気球の記念日でしょ」 少女(幼女)が無邪気な口調で語りかけた。

「レーニン気球の記念日」 のどかなロシアの田舎に、そんなものが打ち上げられるのか?

少女の名はマリア。

ペトログラード(現在のサンクトペテルブルグ)郊外の生まれだが、革命の戦火を逃れて、家族と共に移住してきたと言う。

この辺りは芸術家村と呼ばれ、変わり者の上流階級出身者のダーチャ(別荘)が集まる。

豊かな水をたたえた川の澄んだ流れ。蚊が多いことが不快なことを除けば、穏やかで陽気な人々が夏を過ごす避暑地といったところか。

しかし、2011年のホテルに戻ったはずが、今度はロシア革命のシベリアに飛ばされるとは・・・
しかも季節は夏。カレンダーにも狂いが生じてきたようだ。

今回は、もう帰れないかもしれないと思った。ただ、そんなに悪い気分じゃない。
何というか、神に選ばれたような気分だった。それぐらい、この芸術家村の居心地は良かった。

マリアの家に案内されると・・・
両親の親戚や友人らが昼間からフレンチ・カンカンを踊りながら!僕を迎え入れてくれた。

「さあ、1999年のダンスを踊りましょう!」

マリアの叔母にあたるソフィアが僕を誘う。って何? 1999年のダンス?

1920年代では、世紀末に世界が終るという伝説があり、とりわけ芸術村の住人は、それを信じていた。
というか・・・ 何かと理由をつけては、ベルエポックなデカダンスを踊り尽くそうとしていた。

マリアを抱っこしながら、ソフィアと手を取り「1999年のダンス」を踊った。

「そういえば両親は?」 マリアに訊ねると、ゆったりとチェアでくつろぐ女性のもとに駆けていった。

彼女の名はアナスタシアといい、美しいが、足がやや不自由なようだった。

「パパは?」と訊くとマリアは、窓から遠くに見える森を指差して、無垢な微笑みを浮かべた。

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マリアに手を取られて、川のほとりを歩いた。

太陽に照らされた水面、のどかな夏の香りが辺りに充満している。

突然、どこからか音響の悪いスピーカーを通じて、ロシア語のアナウンスがあり、しばらくすると、多くの人が川のほとりに座りはじめた。

人々は気球の打ち上げを見るために集まっていた。

青年団による演奏が行われている間に、ソフィアやアナスタシアたちもやって来た。
今日は、レーニン同志が未遂に終わった第一次革命を起こしてから十数年目の記念日なのだそうだ。

レーニンは、僕の尊敬する歴史上の人物の一人だ。

今後、元の世界に戻れたなら、最高の旅行だったと言えるんだけどな・・・ だって、時空を超えて歴史を目撃するんだぜ!

でも、僕の心は曇っていた。もう帰れる気がしない。

こちらも悪くないんだけど、向こうの世界に残してきた人や仕事のことも気になる。

向こうでは、子供の頃からの夢だったワールド・ツアーの真っ最中だったんだ。おまけに日本では父が倒れて、入院していた。

帰れる保障があるなら、この芸術家村の夏を満喫したい。ただ、心残りや心配事を抱えていては充分に楽しめない。
上手くスイッチの切り替えが出来れば良いのだが・・・ 僕は、そんなに器用じゃない。

真夏のサンタクロースがやって来て、子供たちにプレゼントを配り始める。

当然、マリアも大はしゃぎ!

「夏の間、サンタは何処にいるの?」

「ソ連の中さ」

「じゃあ、冬は?」

「ソ連から世界中の子供たちのもとに行くのさ」

マリアとサンタのやり取りを聞きながら、僕は煙草に火をつけた。

息を深く吸ってから、大きなため息をついた。

夏の憂鬱は、僕を Another World へ運ぼうとしている。
ちょっと可笑しくなりながら・・・ 僕は、ソ連の夏を楽しみはじめていた。

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やがて、太陽は疲れた表情を見せ、日差しもだいぶ弱くなってきた。

そよ風に吹かれながら、たまたま横にいたソフィアとキスした。
数年後には、成長したマリアと、こうしているのかもな・・・ と思いながら。

日没が迫っているようでいて、太陽は沈まない。白夜の中、朱色に染まった川面が小さく波打つ。

森の茂みから、大きな気球が打ち上げられた。

正面にはレーニンの肖像画が描かれており、それに向かって、青年団が「レーニン同志、万歳!」を連呼する。

芸術家村の人々も歓声を上げるが、手にはビールやウオッカの瓶を持っていたり、煙草を吸っていたりで・・・
どうも共産主義革命を祝っているムードではない。

多少、拍子抜けしながら、2011年にカメラを置き忘れてきたことを悔やんだ。

マリアに至ってはケーキを食べるのに夢中で・・・
レーニン気球も、さながら平和なピクニックの余興といったところか。

共産党の独裁体制が強化されるのは、この後、スターリンの時代に血の粛清を行ってからだったっけ。
それに芸術家村の人々は主に上流階級の出身で、革命の敵とされるブルジョワ層だったよな。

しばらく空を泳いだ後、気球は、対岸の森の奥へ消えて行った。

面白かったけど、期待していたほどじゃなかったな・・・ と思った、その時、対岸の森から火の手が上がっているのが見えた。

まさか墜落したか・・・ 

只事ではないことが起こっていたのは確かだったが、人々は心配そうではありながらも、対岸の火事を楽しんでいるようにも見えた。

山火事が広がっていく様を眺めながら、マリアたちは家路についた。

さも当然のように、僕も泊めてもらうことになった。

2時間くらいしかない夜の間、マリアの母であるアナスタシアと語り合った。

足の不自由な人ではあるが、夜の帳は彼女に艶やかな色気を与える。

ワインを飲みながら、彼女の昔の恋物語を聞いていた。
それで気になったのが、セルゲイという彼女の夫が何故、帰って来ないのかということだ。

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夜 瞼は下がり 僕はキャンドルの火を消す。
終わりのない時間の道を古い時計が追うだけ。

カーテンを開くだけで、月光が・・・
彼女の深い悲しみと情熱の炎が部屋を満たす。

短い夜だから・・・
それを、夢のような賛歌として感受するのだ。

月よ、海の女主人よ・・・
貴方は地球の表面を滑り、考えの及ばない思想に光を与え、哀しみと恐れを奪う。

そこには、たくさんの砂漠が、柔らかな処女の光の下で煌(きらめ)いている。
そして、たくさんの木々が影を覆い、小川が光り輝いている!

軍隊とは、果てしない孤独という海を航海する時、貴方が思うままにできる大波の名だ。

眩い罪の中で、あるいは庭園、宮殿や古き城の中で・・・ 貴方は、自身の開かれた見解に魔法の力を吹き込むのか?

乞食に、どんな明日が待ち受けるのか考える暇も与えず、一人の王の計画がこの地球を1世紀以上も捕え続ける。

運命のサイコロは、人を異なる地位や道に割り当てねばならない。
弱かろうが強かろうが、無知であろうが賢かろうが、誰しも死神による同じ命令と光線を浴びるのだ。

人はみな情熱に仕え、奴隷は永遠である。

ある者は鏡に見入り・・・
ある者は真実を求め、それを世界の空間と時間の中に見出そうと願っている。

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